Blessing Garden

宇宙波動調整士、富士山麓にてスローライフもどきを始める

アースデイで感じたこと

4月22日はアースデイ。地球や地球環境に、わたし達がそれぞれに、何かできることを考えたり実践したりする日。

昨日は笛吹市で行われた「ふえふきマルシェ」に足を延ばしたのですが、その時に、アースデイの活動も同時に行われていて、ステキな絵も飾ってありました。

 

わたしがいつも地球と深くコンタクトすると、けっこう強い痛みを感じるのですよね。

それだけ地球は、わたし達のネガティブな部分も含めて、人間を丸と支えてくれているのだと思いますし、地球の負担は大変なものだなあと感じます。

 

環境破壊といったレベルではなくてね、エネルギーフィールドとして、わたし達の活動を全面的にバックアップしてくれている、深い深い愛なのです、地球が負担している痛みは。

なので、わたしは定期的に地球への感謝と癒しの祈りを続けています。

 

もしね、これを読んでビビビッと来た方は、月に一回でもいいので、地球にありがとうと一言でよいので伝えてみてください。それだけで、地球はクリアリングされます。

 

 

でも今日は、地球からではなく宇宙からのメッセージを大量に受け取りました。

やっぱりね、アースデイのように愛の波動が高まるような日は、宇宙とのコンタクトもやりやすくなるのではないかと思うのです。一時的に、フィールドが上がると言えばいいかな。

なので、そういう日には、普段あまりダイレクトに宇宙とコンタクトしない人たちも、メッセージを受けやすくなるのだろうなと感じます。

 

これって、愛のフィールドに多くの人が移動すると地球が進化する、そのとてもよい例でしょう。

 

日本人の働きは大きいです、ほんとよ。日本人の祈りって、やっぱりすごいのですよ、本当そう思います。

恐怖からの言動ではなく、愛のフィールドで心から祈りを捧げる人達がもっともっと日本でも増えるといいなあと、思っています。

 

そのためには、自然に自分を認めて愛し育むことを自分にOKを出して、それを実践することが大事なので、そういう人たちがもっともっと増えるといいなあと感じています。

 

 

 

 

外部記憶装置として、SNSを使う

今ここを生きていると、正直な話、過去のことは忘れます。過去も未来も繋がってはいない。繋がっているように感じるのは、記憶があるから。

そんなふうに個人的には思っています。

 

すごく大事なことや印象的だったことは覚えていますよ、もちろん。でも、興味のないことに労力を使うのは命がもったいない。瞬間瞬間、どこに飛ぶか分からないとはいえ、時間は命ですから。有効なことに使いますよ、わたしは。

 

ってなわけで、Facebookで一年前の記事が上がってきて、うーん、SNSはあまり好きではないけれど、外部記憶装置としては案外よいのかも、と思ったわけです。

一年前になにをやっていたかなんて、覚えていないもん。

 

あ、ちなみに私は記憶力は悪くありません。人間社会で仕事をしていた時も、スケジュールはあるにはありましたが、ほとんど使わず。見ただけですべて頭の中に入っていたタイプです。

扱う情報もたぶん人より多い。だから、疲れるのですがね。現実の物理的な情報+目に見えないスピリチュアル的な情報と、かなりの量を同時並行処理しますから。

 

ま、その話は置いておいて、SNSを使うことにちょっと違和感を感じているのですが、まあ外部記憶装置として使っていこう、と思ったわけです。

 

 

 

 

 

からだも心も、自然の動きと共鳴する

今朝は爽やかな晴れです。目の前の富士山もばっちり見えます。

昨日山頂付近では雪が降ったようで、見えていた鳥さんがいなくなりました。(鳥さんって、山肌に見える鳥の形をした雪模様です。それが見えると農耕開始の合図と言われています)

 

昨日は、リウマチの痛みがちょっと強くて、倒れている時間が多かったのですが、今朝は快調!体もそれほど痛くありませんし、気持ちもすっきりしています。

 

最近は「気圧のせい」なんていうハッシュタグがありますが、私たち人間って、予想以上に自然の変化に影響を受けているのですよね。それは太陽フレアの動きとか、そんなものも含めて。

日本が西洋化してしまって、人間の対岸に自然がある、そんな意識が強くなって、人間は自然を支配できる、もしくは自然の影響を受けずに生きていける、そう思い込むような形になってしまったのが現代人のような気がしています。

 

でも、富士山麓のような、よりダイレクトに自然の変化を感じる場所にいると、やっぱり人間って自然の一部ですし、地球の一部なんですね。

太陽や月の動きも含めて、自然の影響を受けている。それは細菌類や昆虫、植物も含めて、そういった命の営みも含めて、そういうすべてのものに共鳴して、わたし達は存在します。

 

だから、天気が悪いとなんか調子悪いとか、そんなのは普通のことで、そういう時は無理せずにゆったりと過ごしていいんです。そう思います。

 

仕事や子育ての場合は、手が抜けないこともたくさんありますが、気持ちをね、ちょっとだけゆったりさせるだけでもいい。5分だけ、チョコを食べる時間を取るだけでもいい。それこそ深呼吸5分でも、ストレッチ2分でも。

體と心を緩める時間をとっていいんです。

 

じぶんの現実はじぶんが創りますから、「忙しくてそんな時間はない」と思えば、現実はそうなります。「5分、3分でもいい、ちょっとだけ心と体を緩めよう」と思えば、現実はその時間を創り出して、のちの作業に影響は与えません。そんなもんです。

 

 

まあ、人間は自然と切り離された状態では存在できないわけでして、本来のあり方と違う状態でいると、具合が悪くなるんですね。

自分が自然の一部であり、お互いに共振共鳴しながら生きていることを感覚的に納得できると、人間社会の生きにくさから少し解放されます。

本質を生きるという意味もふくめて、自然な自分の流れを無理なく受け入れて、心と体に負担が少ない行動を選択していく人たちが増えるといいなあと、こっそり思っています。

 

わたしの場合、もう人間社会から飛び出してしまいましたが、それがいいか悪いかは置いておいて、自然と共に生きるのは心地が良いですし、幸せです。

 

 

 

 

 

 

予定調和ではない地球で、今を生きる覚悟

わたしはスピリチュアルな感覚が強いですが、サイエンスの場を否定しているわけではありません。サイエンスも大切なフィールド。どの学問や立場も、この世界を捉えるときに、有効に働くフレームだと考えています。

 

この世界は、一つの切り口だけでは解明できませんものね。いくつかの切り口があって、それを統合してみると、「どうやらこうらしい」という姿が見えてきます。

 

どこかでも書きましたが、人間の視点では根源の神の姿は捉えられない。知覚できる断片を集めて、それを統合して分析してみたら、真実に近いだろう姿をかいま見ることができる。そんなもんだと、思っています。

もともと研究職で実験したりデータを扱うこともしていましたしね、スピリチュアルと言われるような分野と科学領域の、両方のよさを知っています。そう思ってます。

 

 

最近はスピリチュアルな界隈も多量な情報が提供されていて、見ていると惑わされちゃいますよね。ありとあらゆる情報が溢れています。

科学の分野でも、最近はAIに関する情報をちょっと見ていたりするのですが、そこに限らず様々な情報が出ていて、びっくりです。

どんな人でも自由に情報を発信できる、よい時代になったのだと思うのですが、情報の取捨選択は大事だなとしみじみ思います。

 

ま、取捨選択の話は置いておいて、結局、スピリチュアルにしてもサイエンスにしても、そのプロセスにおいてはやっぱり「どうやらそうらしい」という、曖昧な状態に帰結するのかなと感じています。

 

研究なんて10年ひと昔、ヘタすると10年前の論文なんて使えないとか、一昔前に言われていたことが180度ぐるっとひっくり返ったり、そんなことは多々あるわけで、

スピリチュアルな話はもっとそもそも曖昧なものですしね、数値化できないという意味でもね、個人内体験がメインという意味でも。チャネリングだって、チャネラーの悟りの具合によって、降りてくるものが違いますしね。

 

結局、わたし達は「宇宙の真実はどうやらそうらしい」という曖昧な状態で生きているわけで、「確実な何か」を求めても仕方がないんですね。

確固たる動かない何かを求めるのは、あまり意味がない。そのことをありありと実感しています。

 

曖昧な状況の中で、自分がどれを選んで、なにを決めて動いていくか。

主体的に動いていくのが、必要なことだろうと、そのことが確信としてあります。

 

ほら「なろう」なんかでも、一度目の人生をやり直しして、起こるであろうトラブルを回避していく話、わりと人気ですよね。あれは、日本人の特徴的なものを表しているかなとおもったりしてね。

トラブルにフォーカスしたり、それを回避しようと躍起になってそこから離れられないというスタンスは、古い在り方なのでしょう。もちろん、対策を採っておくことは大事ですけれど、フォーカスしすぎるといろいろとね。

 

何が起こるか分からない、そんな曖昧な状態のなかでも、今ここをじぶんの意志で生きる、そんなスタンスが宇宙からおススメされているのだろうなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変容の動きに乗って、さらに上昇してみる

今日も富士山の上空はちょっと忙しいようです。ここ数日、富士山上空のゲートを使って、宇宙船の出入りがいつもより多い感じですね。やっぱ富士山はすごいわ。

 

わたしにとっては、宇宙船と言われるものも宇宙人と言われるものも、エネルギー体としてはいつもコンタクトがあるので、何か特別な存在というよりも、普通にご近所さんという感覚です。

かならずしも人間が理解するような形をしているわけでもありませんしね。私たち人間が理解しやすいように物体化しているケースもあると思います。

 

 

そんな身近な宇宙も忙しそうですが、わたしの宇宙も忙しいです。

旧世界の価値観や思いこみを手放すほどに、新しいシステムやエネルギーフィールドとのリンクが起こって、その変化に物質である体がついていくのが大変です。

要は、「春眠、暁を覚えず」といった状態。

 

わたしの体の痛みもね、これは物質である肉体の変容中なんですよね。わたしも含めて、世界の全てが変わっていく、そのようにわたしは感じています。

どうしたって変容していくので、動じない、慌てない、焦らない。自分の現実はじぶんが創っていきますから、どう感じるかは自分次第。

わたしは、自分も日本も地球も、スムーズにできるだけ穏やかに楽しく変容していくと思いますし、何か起こったとしても自分はそれほど影響を受けないと確信しています。

 

まあ、たくさんの未来予報なんてのも出ていますが、今の時点で未来を確実に予想はできないと思うんですよね。わたし達の意識、集合意識で変わりますから。

今ここしかないですしね、現実として。

 

怖い未来が来ると思っている人は、恐怖のフィールドから怖い情報を降ろしますし、断罪したい人は、断罪ゾーンからの断罪の情報を降ろしますし、絶望したい人は絶望のゾーンから絶望の情報を降ろしますしね。

自分がどの情報に反応するかで、自分の持っているエネルギーの特徴が分かるってもんです。

 

外側の誰かが提示する情報ではなく、自分の内面の宇宙から与えられる情報(直観ね)に、もっと耳を傾ける人達が増えるといいなと、個人的には思っています。

 

ま、これから変容の動きは宇宙レベルで強くなっていくだろうと、わたしの宇宙は感じていますし、その波に乗って、出来るだけ上昇してみたいのですよ、わたしは。

どんな世界が見えるかな、ちょっとワクワクします。たのしみ。

 

 

 

 

真の豊かさって、どんな状態?

タイトルのようなテーマに向き合っております。新しい感覚がシフトしている途中と言えばいいかな?なので、この問いが降ってきたのだろうと思うのです。

わたしにとっての真の豊かさとは、どんな状態なのだろうかと。

これを読んでくださるみなさまにとって、豊かであるとはどんな状態ですか。

 

美しく身なりを整えたり、お値段の高いものを持ってみたり、成功している人達の中へ入っていったり、そういうのも豊かさの一つの指標でもありますよね。

スピリチュアル的ことなら、本質の自分の戻ってどんどん次元上昇をしていくとか、スピリチュアルなスキルを獲得するとか、そんな面がありますよね。

 

豊かだと感じる状態は、その人によって違うと思うのですね。

好きなことを仕事にして年商何億で、ドバイに住んで、ブランド品を買いまくる、あちこち旅行に行くなんてのもありですし、小さな土地を購入して、じぶんが楽しく過ごすための場を作るなんてのもありですし、

スピリチュアルなセッションやらワークをして、やってくる人に素敵な体験を提供するってのもありですし、宇宙的にみたら、何でもありなんですよね。

 

 

今ここの感覚ですが、わたし、所有するという感覚が薄れちゃったんですね。

以前なら、次元を上げるのにどこか自分に欠けているところがあって、それを補う何か、スキルだったりね、が必要だと焦っていましたし、

それこそツール、たとえばパワーストーンとかクリスタルボールとか、神聖幾何学をデザインしたなにかとか、そういった道具を持っていないと不完全なままだと、思っていたんですよね。

 

 

でも、必要なものは全てわたし達は所有していますし、必要な情報は必要なときに宇宙から取り出せますしね。エネルギーだって、必要ならちゃんと届きます。

物質的な物でもそうで、わたしが所有していなくても誰かが持っている。この世界はワンネスなので、わたしが持っているのと同じ。

必要なときに必要なツールを、誰かが運んできてくれます。貸してくれると言ってもいいかな。必要な処理が終わったら、お返しすればいいだけ。わたし自身がそれを所有する必要がないのです。

 

逆に、わたしが所有しているものは、必要なときに誰かに提供すればいいだけで、この世界はみんなが必要なものを持っていて、必要なときに必要なものを提供している世界だ、と気が付いたら、

うん、わたしの感覚のなかで、もう「自分はすごく満たされていて、すごく豊か」なんですよね。

 

もっと言えば、免疫疾患のために、全頭脱毛ですし眉毛もありません。どんどん痩せていってしまって、今BMIは18.5ぐらい。帽子をかぶって痩せていて、体の痛みで歩き方ちょっとおかしい。

美しく身なりを整えてなんて状態でもなく、大体體が痛くて洋服を脱ぎ期するのが大変なのですよ、よれよれした動きのまま外を歩いていますが、

それでもね、なんか満たされていて、そこはかとなくご機嫌なんですね。不思議でしょう。

 

この感覚ってなんなのかな。

 

そして、この感覚を追求するほどに、これまでの世界で提示されていた豊かさの基準から外れていきます。なので、ちょっと迷いも感じるのですよね。

でも、元には戻らないと確固たる決心があるので、戻りません。自分と宇宙と、この世界のすべての命を信頼して、この新しい感覚と見えてきた豊かさのシステムを享受していこうと思っています。

 

 

 

 

 

夏野菜、設置完了

ガーデニングというか、レイズドベッドで夏野菜を育てます。

一応、農薬不使用&肥料不使用、草マルチで栽培します。一般的な農薬は絶対に使わないですが、酢(ストチュウ水)は使うかも。酢も農薬に含まれるって、知っていました?なんでも農薬にしちゃうんですよ、お役所は。

 

自然栽培を習いに行ったときのお話。

お役所が合鴨農法の「合鴨も(雑草を取るから)農薬に指定する」といったとき、「じゃあ、うちのばあちゃんも草刈りして雑草を取るけれど、ばあちゃんも農薬か!」というような、やりとりがあったとかなかったとか。

合鴨さん達は農薬指定にはならなかったようですが、どうにもこうにもお役所(というか政府ですよね)のやることは、おかしなことが多いです。

 

話が飛びましたので、戻しましょう。

移住前に畑を借りていた時は、苗などもすべて手作りでした。F1種ではなく固定種で苗を創り、それを何世代も繋げていたのです。が、今回は初回ということで無理をせず。

苗を購入して今日レイズドベットに設置、いえ移植ですね、をいたしました。夏畝と冬畝をぐるぐると回して栽培します。

 

そしてなんといっても、草マルチがカギを握ります。庭に生えている雑草を刈りとって、早速野菜の周りに敷き詰めました。敷地内の雑草をこれから、刈っては敷きを繰り返していきます。

 

畑を借りていた時はもっと大々的にできましたが、ここではレイズドベットですし、体の調子もそれなりなので、米ぬかや自家製たい肥(雑草や落ち葉で作ったもの)を投入していくかもしれません。

 

今ここのわたしは、何事もゆるーく楽しんでの状態。ガチガチに何か決められたことをやるのではなく、ゆるくゆるくワクワクしてがメインです。

だんだんと固形物を食べなくてもよい体(プラーナ吸収率が上がっている)になっていますしね。まずは作業そのもの、プロセスそのものを楽しみます。

 

 

※植えたものは、ミニトマト、落花生、バジル、紫蘇。参考にしているのは、竹内孝功さんの「1㎡からはじめる自然菜園」他。