Blessing Garden

宇宙波動調整士、富士山麓から今ここの変化を書いています

予定調和ではない地球で、今を生きる覚悟

わたしはスピリチュアルな感覚が強いですが、サイエンスの場を否定しているわけではありません。サイエンスも大切なフィールド。どの学問や立場も、この世界を捉えるときに、有効に働くフレームだと考えています。

 

この世界は、一つの切り口だけでは解明できませんものね。いくつかの切り口があって、それを統合してみると、「どうやらこうらしい」という姿が見えてきます。

 

どこかでも書きましたが、人間の視点では根源の神の姿は捉えられない。知覚できる断片を集めて、それを統合して分析してみたら、真実に近いだろう姿をかいま見ることができる。そんなもんだと、思っています。

もともと研究職で実験したりデータを扱うこともしていましたしね、スピリチュアルと言われるような分野と科学領域の、両方のよさを知っています。そう思ってます。

 

 

最近はスピリチュアルな界隈も多量な情報が提供されていて、見ていると惑わされちゃいますよね。ありとあらゆる情報が溢れています。

科学の分野でも、最近はAIに関する情報をちょっと見ていたりするのですが、そこに限らず様々な情報が出ていて、びっくりです。

どんな人でも自由に情報を発信できる、よい時代になったのだと思うのですが、情報の取捨選択は大事だなとしみじみ思います。

 

ま、取捨選択の話は置いておいて、結局、スピリチュアルにしてもサイエンスにしても、そのプロセスにおいてはやっぱり「どうやらそうらしい」という、曖昧な状態に帰結するのかなと感じています。

 

研究なんて10年ひと昔、ヘタすると10年前の論文なんて使えないとか、一昔前に言われていたことが180度ぐるっとひっくり返ったり、そんなことは多々あるわけで、

スピリチュアルな話はもっとそもそも曖昧なものですしね、数値化できないという意味でもね、個人内体験がメインという意味でも。チャネリングだって、チャネラーの悟りの具合によって、降りてくるものが違いますしね。

 

結局、わたし達は「宇宙の真実はどうやらそうらしい」という曖昧な状態で生きているわけで、「確実な何か」を求めても仕方がないんですね。

確固たる動かない何かを求めるのは、あまり意味がない。そのことをありありと実感しています。

 

曖昧な状況の中で、自分がどれを選んで、なにを決めて動いていくか。

主体的に動いていくのが、必要なことだろうと、そのことが確信としてあります。

 

ほら「なろう」なんかでも、一度目の人生をやり直しして、起こるであろうトラブルを回避していく話、わりと人気ですよね。あれは、日本人の特徴的なものを表しているかなとおもったりしてね。

トラブルにフォーカスしたり、それを回避しようと躍起になってそこから離れられないというスタンスは、古い在り方なのでしょう。もちろん、対策を採っておくことは大事ですけれど、フォーカスしすぎるといろいろとね。

 

何が起こるか分からない、そんな曖昧な状態のなかでも、今ここをじぶんの意志で生きる、そんなスタンスが宇宙からおススメされているのだろうなと思います。