Blessing Garden

宇宙波動調整士、富士山麓にてスローライフもどきを始める

要らないものは、要らないと言っていい

富士山麓、かなり雪が降り積もりました。ベランダの手すりを見ると20㎝以上積もっています。けっこう降ったわ。

雪が降ると、世界から音が消えるのが好きです。雪が音を吸収してくれるからだと思うのですが、聴覚過敏なわたしは、普段からたくさんの音、波動も含めて、を拾ってしまうので、雪が遮断してくれる静かな世界が好きです。

 

さて、そんな静かな世界が雪によって創造されているあいだ、わたしは昔のことを思い出していました。それが、今日のブログのタイトル。

そう、もう今年に入って、自分のことは自分で決めるのが主流ですからね。

 

風の時代に入ってすぐ、以前活動していたスピリチュアルの場を出たんです。きっかけは、教祖様的な人が、うちの子どもの進学に口を出してきたから。でも、その場を離れるようにハイアーセルフから言われていたのは、その三年ぐらい前からなんですね。

でも、わたしはそこを離れると不幸になる、と思い込んでいましたし、教祖様的な人はここを離れると波動が落ちて不幸になる、そうメンバーを脅していましたので、とても恐ろしくて恐ろしくて、その場を離れることができませんでした。

 

その人は、メンバーを操作して、自分の意にそわない人を思い通りに動かす手腕にたけていたんです。意にそわないメンバーを、集団で無視するようにしたり(関わると波動が落ちるという理由で)、怒鳴ったり脅したり、言うことを聞かないなら出ていけと叫んだり、考えてみたら、あれは「洗脳」だったなあと思います。

 

もうね、欲しくないものもたくさん買いました。買わないと波動が落ちるとか、買わないとその場の波動と合わなくなるとか、他のメンバーに影響が出るとか、これを持っていたら波動が上がるよとかね。

教祖様のお子さんが出したDVDやCD、アドバイザーとして携わっていたアクセサリーとかね。いや、まあ、質の良いものだったとは思いますが、なんかねぇ、「もう壺売りと同じじゃん」なんて、思ったりします。

コンサートのスタッフとかもやりましたがね、なんというか、お金と時間は搾取され、怒鳴られて終わり。全体的にそんな感じでした。

 

まあね、お金はエネルギーなので物質的な視点では判断が難しいですけれども、エネルギーを何に使うかは、自分で決めるんですよ。誰がこれがいいと言っても、自分がいいと思わなければ、使わなくていい。

 

行動もだいぶコントロールされていましたっけ。自分がやりたいと思ったことも、もう一人の教祖様にリーディングしてもらう必要がありました。

ある一定の基準にならないとやってはいけない、みたいなね。分かりやすく言えば、リーディングしてもらってA判定が出れば、やってよし!B判定だったらやらない方がいい、みたいな。

 

ちょっと自分でも笑っちゃうよね。どうして、あんなに恐ろしくて、言うことを聞かないと不幸になると思っていたのかな。

支配と依存から抜け出せ!と叫んでいた教祖様でしたが、地の時代だったからか、やっていることは支配と依存の関係構築そのもので、ダブルスタンダードだったな、と今思います。

 

だもんで、イヤなものはイヤ、要らないものは要らない、参加したくない者には参加しない、と言えなかったんですね。

そして、今思うのは、「怖がらずに、ちゃんと自分の主張を言えばよかった」という後悔です。ほんと、きちんと自分の主張をすればよかったわ。

 

誰かに自分の行動を決めてもらう、もしくは誰かの命令に従うというのは、意思決定権を誰かに明け渡すということなんですね。それは、もう風の時代には合わない。

今は、地球人も宇宙的自立をするときですから。

 

 

わたしもそこを出てもう数年経ちます。色々ハプニングもありましたが、一度もその活動の場に戻りたいと思ったことはありません。

もちろん失敗もたくさんありましたが、自分で決めたので、不思議と後悔はないんですね。失敗してもすっきりしています。まあ、宇宙的には失敗なんてものはありませんけれど。

 

 

でね、前述したような脅しのようなことが、なぜ起きたか。

それはね、わたしが自分のことを「無能でダメで、かわいそうな女で、誰かに救ってほしい」と思っていたからです。なので、そういう場を引き寄せたんですね。

ある意味、その教祖様が開いている地場は、「駄目のもの達を救ってやる」でしたら、その人のもとにいる限り、「駄目な自分を演じさせられていた」わけです。

わたし自身が、じぶんをダメな人間だと思っているんだから、ぴったりの場よね。

誰かに救ってもらいたいと思っていたのだから、救ってやるぞという人がやってくるわよね。

 

 

まあ、宇宙のシステムとしてはシンプルです。

「それを望んでいるのなら、それを与えるよ」ってなわけで、それをわたしは自分で望んで自分で引き寄せたわけですわ。

 

今は違う人たちと活動していますが、もうね、自由です。強制も脅しもない。出入り自由。どんなスタンスでもOK。そのぐらいの懐に広さと場を保つ強さがあります。

強烈な支配の場にいたので、当初、こんなに一人一人が自立して自由に柔軟に、自分のミッションを遂行しているのに、驚きました。

それは、私の宇宙的視点転換だったと思います。

 

 

感覚に合わないことを断るのは、とても大事なこと。

断ってもOKというスタンスは、愛であること。

わたしはそう思います。

 

今は自分で自分の行動を決める時代。

自分の感覚を愛でて、それを伸ばしていく時代。

誰かにどう思われようとも、自分の生き方を決めるのは自分以外ありません。

そのことをしっかり心に刻んで、わたしは私の光を建てていきます。

 

って、私のちょっと恥ずかしい過去のお話でした。

でも、それがあるから、今があるのよ!